夢のかけあし

-- これは実話です --

1・海って何 ?  2・決断  3・終わりの見えない旅へ


1・海って何 ?



学生時代に乗っていたヨット「サザンクロス」金華山沖約10km

 アポロ宇宙船で人類が月に達する二年前、ぼくが中学生だったとき、放課後の教室で友達が言った。

「魚って、本当に海にいると思う?」

 岩手富士と北上川を見て育ったから、遠い海のことなんて分かるはずもない。生まれ故郷の盛岡と海は、北上山地で隔たっていた。

「海に魚がいるのは常識だ!」
 ぼくは友達にそう叫ぶ。でも、海で泳ぐ魚を実際に自分の目で見たことは、ただの一度もなかった。

「見てないなら、本当のことなんて分からないさ。もしかするとね、魚屋で売っている魚はね、どこかの工場にある機械から、どんどん出てくるのかもしれないよ」

 大変なことに気づいたものだ。なんて賢いやつだろう。全く彼の言うとおり、自分で確かめてもいないのに、真実と断言できるわけがない。たとえば地球は丸いと学校で習っても、それは絶対正しいと言えるのか。教える先生だって、本で読んだり人から聞いたきりなのだ。月に行って地球を見るか、船でぐるりと一周しなければ、本当のことは分からないに違いない。


 大学生になって、蛇行する広瀬川と青葉山の町、七夕祭りが盛んな仙台に住んでも、ぼくは海を知らなかった。

 ある日曜の午後、サンダルをはいて下宿を出ると、十五キロ離れた海を目指し、なぜか走るように夢中で歩き始めていた。でも、二時間ほどで小さな港に着いたとき、それより先には一歩も行けなくて、サンダルの下は岸壁の縁だった。

「際限のない海が目の前に続くのに、ぼくはどうして陸の縁で止まっている?」

 海岸に立って見た海は、海の端にすぎないと、本物の海はもっと先にあるのだと、町にいては分からない大切な何かを、海は教えてくれるのだと、心の隅で直感したのかもしれない。

 そこでヨットを始めることにした。六人乗りクルーザーを買った大学職員のグループが、手伝いの見習いクルーとして、仲間に入れてくれたのだ。

 見回す限り青い一面のディスクになった海。波間にキラリと光る銀色のトビウオ。頬を痛いほど打つ白い飛沫。水平線に燃える異世界からきたような巨大な太陽。――どれもこれも陸の上とは違っている。見るもの聞くもの、生まれて初めての体験だ。新世界に踏み入った驚きと幸福感に酔っていた。夢中だった。

 ヨットの航海記を買い集めると、手当たりしだいに読みだした。木の葉のように小さなヨットを襲う、三階建ての家ほどもある大波。氷山に衝突して沈没する恐怖。ヨットを待ち構える危険な暗礁。そうだ、これは冒険、命をかけた試みだ。日本という小島の外は、これほど興味深いのに、ぼくはどうして住み慣れた土地だけを、カゴに入ったハツカネズミのように、グルグルと回って生きているのか。

 やはり地球をヨットで旅したい。それはおそらく冒険で、資金のあても命の保証すらもなく、何年かかるかさえ分からない。ひもじいこともあるだろう。冷たいミゾレが首筋に降る思いもするだろう。出て行ったきり、二度と帰って来られないかもしれない。でも、美しい水の星、地球に生まれた幸運を、自分の両眼と肌で知るためにも、いつの日か旅に出ようと決意した。



 大学を卒業して横浜のソフト製作会社に就職後、サラリーマンの一年が過ぎて、ツツジの花が咲いた五月の連休が始まると、ぼくは電車で北に旅立った。

 夕暮れどき、学生時代に通った仙台湾の浜田港に着くと、岸壁には一隻のヨットが陸揚げされて、三十前後の男が一人、船底に修理用パテを塗っている。海の景色は、すでにぼおっと青暗く、空には赤黒い夕焼け雲が、かすかに薄く残っていた。約束に三分遅れたことを、ぼくは詫びた。

 男はヨットに掛けたハシゴを上り、暗い船室に招き入れると、低い天井から懐中電灯を吊り下げる。円い光が当たったテーブルで、冷や酒をコーヒーカップで飲みながら、互いの近況など話していく。

 一時間が過ぎたころ、急に真面目な顔で、ぼくは言った。
「世界一周をやりたいんです。もちろん、ひとりで」

 ヨットの先輩として尊敬する彼に、夢を打ち明けた。それができるほど、心は決まっていたのだろう。

「なにごとでもね、やろうという強い意志を持てば、成功したのと同じです」
 いつものように、ていねいな口調で、彼は答えてくれた。

「でも、ぼくは本当に海を渡れるか分かりません。大海原の真ん中で、ひとりぼっちになったとき、孤独に耐えられなくて引き返すかもしれません」

「君はね、引っ返すというより、発狂するタイプかな?」
 真面目そうな彼が、こんなときに冗談を言うなんて。

 本当は、とめてほしかった。〈君には無理だ、君にはできない〉と。そうすればあきらめがつく。

「ぼくは海をまだまだ知らないと思うんです。学生時代、一年の三分の一は海にいて、手を骨折してもギブスのまま休まずヨットに乗って、就職後も毎週、海に通っているけど、日本の近海ばかりです。大海原の真ん中では、どれほどの大波が立って、どんなに激しい嵐が襲うか、想像もできません。このまえ、海に沈む夢を見たんです。ヨットの小さな船室に、ぼくひとりきりで、真っ暗闇の中、ヨットは逆さになっているようで、どんどんどんどん、水が流れ込んで……」

「えっ、やはり見ましたか。私も昔、何度も見たんです。怖くて、怖くて、早く朝にならないかとフトンの中で思ってました」

「海、海を無事に渡るためには、天が個人個人に与えた能力や資格のようなもの、体力、視力、危険を未然に知る力……。でも、ぼくには」

「いや、それなら心配ありません。以前に私、世界一周したヨット乗りに会ったとき、その人の話では全身がレーダーのようになって、危険を感知するそうです。夜中にふと目覚めたら、大きな船がいて衝突直前だったことが、本当に何度もあったそうなんです」

「でも、そんな第六感のような能力は、ぼくにはないと思うし、視力だってメガネだし、体力も充分か分かりません。きっと、海を渡って生きて帰るのに必要な、天から与えられた資格がない」

「いや、それはね、海に出てみなければ分かりません。海は未知だからこそ、海に飛び出すのでは。でも、でも、本当に海を知っていたら、きっと恐ろしくて、海なんかには……」

 彼も昔、大海原にあこがれた時期がある。生活費を切りつめて小さなヨットを買い、台風の海原を走って腕を磨き、世界一周を夢見ていた。

「私の好きな外国の歌にね、〈少年は海から帰って男になる〉というのがあるんです」

 そしてこうも語る。
「夢を実現するには、大義名分のようなもの、くじけそうな心を支え続ける言葉、自分はこのためにやるんだという何かが、ぜひ必要なんです」

 が、そう言う彼も、ある日に夢を捨てていた。
「私、実はその……、激しい恋をしたんです。結婚して、娘もできて、やっと恋を実らせました。こんな幸せもあると思って、世界一周を断念したんです」

 その見果てぬ夢を、ぼくに託そうというのか。天井から下げたライトは電池が切れて、彼の表情はよく見えない。

「まず最初にヨットを買うことです。なんとかして自分のヨットを持つことです。そうすれば先はどうにかなります。若者らしく、失敗や後のことを考えずに、もっと一途に進むべきです。世界中の青い海が、君を待っているんです。ぜひ行ってください」

 最後の言葉が嬉しくて、ぼくは返事を忘れていた。


2・決断



やっと買った中古のヨット、水線下の形が好きだった。

 資金を蓄えようと決めて、第一番にタバコをやめた。〈焼肉食べ放題五百円〉の店で、昼飯を腹一杯に詰め込んで、夕飯を抜く日も増えていた。服装に出費するのも控えたから、背広もネクタイも入社当時のままで、冬のコートも買わないし、黒革靴の破れ口はマジックペンで塗っていた。ぼくの暮らしのすべてが、夢の実現、そのためだけになっていた。

 就職して二年目の冬、ついにヨットを買おうと決めた。残業手当と節約生活で、銀行預金は二百万円を超えていた。

 出張先の博多で見つけた中古艇は、型名BlueWater 24C、全長七・五メートル、排水量二・一トン。――外洋航海には小さいけれど、予算ではこれが限度だった。狭苦しい船室の床はタタミ一枚分もなく、低い天井は背も立たない。でも、船体は頑丈に造られて、嵐で転覆しても起き上がりそうな形だ。設計者と製造工場長に手紙を出して、外洋航海に耐えるか安全性を確認した後、直接会って補強改造のアドバイスも受けると、全財産の九十五パーセントで買い取った。

 この白い小さなヨットは、ぼくの体の一部となって、美しい水の星、青い地球の上を自由自在に駆けるだろう。世界中の青い海が待っている。ヨットの名前は[青海(あおみ)]に決めた。


 夢に向けて踏んだ次のステップは、会社を辞めることだった。自分を本気にさせるため、大きな転機が必要だし、夢を実現する途中で気が変わっても、あきらめようと思っても、経済的に安定な生活には、戻れないようにしたかった。退路を断とうと決めていた。

 職場に近い小料理屋で、鍋物をつつきながら課長は言う。

「君の計画は分かったよ。だがね、これから数十年は仕事に励んで、社会的責任を果たしてから、定年退職後に好きなことをやればいい。それまでに充分な資金も貯まるしね。今すぐ会社を辞めて、金の足りないまま無理にやる必要があるのかね」

 熱燗の杯を飲み干すと、ぼくは反論を試みる。

「歳をとってはできない種類のこと、若いからこそできること、気力と体力の充実した今しかできないこと、そういうことがあると思います」

 三十半ばの色白な課長は、顔を少しひきつらせて言う。

「会社はね、君の社内教育に費用を使ってきた。数年で辞められては困るんだ。それに、 旅から帰った後、どんな仕事をするつもりかね。何年も現場から離れていた者を、どこも雇うはずがない。生計をどう立てていくのだね」

「まだ考えてもいませんが、夢を実現するには、引き換えに捨てるもの、手放すもの、犠牲として払うものが必要と思います。だいいち、無事に生きて帰れる保証がないのに、先のことを悩むのは……」

 帰った後を考えないことが、もしかすると旅に出る秘訣かもしれない。

「ぼくが欲しいのは、青春の鮮烈な体験や、困難に負けない強靭な心、世界中の海や風や太陽の記憶、そして今は何か見当もつかないけれど、町に住んでいては分からない、海が教えてくれる大切なこと。そんな形の見えない財産かもしれません」

 三週間後、仕事に区切りがついて辞表を出すと、春の突風が吹く横浜の町を後にした。

 住み慣れた仙台に近い松島にヨットを泊めて、いよいよ出発準備を開始する。と同時に職業訓練校に入り、自動車整備の勉強を始めていた。外国で働きながら旅を続けるため、手に職をつけたいし、ヨットの出入港用エンジンの故障に備え、修理技術も得たかった。

 ある明け方、訓練校の寮の二段ベッドで、不思議な夢を見た。それは南米最南端、最果ての荒海に突き出す〈ホーン岬〉。多くの帆船が消息を絶った恐怖の岬。単独で通過したことが最高の栄誉となる、あこがれのホーン岬。成功した日本人は数えるほどもいなかった。

 その伝説の岬に、ぼくはなぜか上陸していた。荒涼とした黒岩の岸に立って眺める海は、空気を液化したように澄んでいる。地の果ての陰気な灰色空の下、透き通った海はかすかに青銀をおびている。これほど寂しい色彩が、この世に存在するものか……



3・終わりの見えない旅へ



出発前の積み込み作業。食料、水、燃料、工具や修理材料も。皆が集まり、手を貸してくれた。

 一年間の職業訓練が終わると、ぼくは港のヨットに住み込んで、出航の最終準備にとりかかる。

 岸壁につけたヨットの中で、缶詰など数か月分の食料を整理していると、外で男の声がする。

「小舟で外国に行くのは、あんたか?」

 六十過ぎの日焼けした老人が立っていた。下着の半袖シャツに作業ズボン、首にはタオルを下げている。

「わしは若いころからずっと漁師をしてる。海ってのは、怖いもんだ。無茶なことをするんでない。こんな小さい船で嵐がきたら……」

 出航が間近いのに、とんでもないことを言う人だ。ぼくはデッキに立ち上がると、反射的に言い返した。

「ヨットは嵐に強い乗り物ですよ。船体は小さくても、数万トンの大型船と同じくらい、安全性が高いんです」

 そう、本で読んだことがある。ヨット仲間の皆も言っている。信じて疑ったことはない。が、よく考えてみると、本当に正しいか、実際に証拠を確認したことはなかった。

「今ならまだ間に合うんだ。ともかくあきらめたほうがいい。まあ、聞くんだ。夏場は台風で二十メートルを超す風も吹く。そんなとき漁師だって難儀するもんだ。若いのに命を粗末にするんでない」

 しばらく返事に困ったけれど、ぼくは思い切って平気な顔で言ってみた。

「秒速三十メートルくらいの風なら、ヨットは何ともありませんよ」

 そんな強風は、もちろん経験がない。でまかせだった。強がりだった。

「なに、三十メートルだって、ほう……」

 老人は急に感心した顔つきで、そのまま黙って岸壁を立ち去った。



 暑さも盛りの八月初め、ついにヨットは日本を離れ、真夏の光る海原に帆を揚げた。

 世界周航の第一ステップ、太平洋横断航海が始まった。

 どこまで行き着けて、何年先に帰ってこられるか、本当に生きて戻れるか、見当すらつかないし、故郷の山にも川にも人々にも、未練は少しも残っていなかった。


 が、そのときも、ぼくは海を知らなかった。


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