1・初めての外国生活がスタートした
港は数千の群衆で埋まっていた。太平洋横断の成功を祝い、皆は熱狂しながら手を振り、歓迎の花火は空に響き、ヘリコプターが十数機も頭上を飛び回る。新聞記者の集団も押し寄せて、矢つぎ早のインタビュー。というのが、ヨット航海記で読む到着シーン。
なのに、ぼくの前には何もない。静まりかえったヨットクラブの桟橋と、全く知らないサンフランシスコの街が、ぼくと[青海]を待っていた。大平洋の単独横断なんて、今どき珍しくもないのだろう。
急いで到着手続をしなくては、密入国で逮捕されるかもしれない。ヨットクラブの事務所まで、カッパと長靴姿で歩きだす。二か月ぶりの陸なのに、航海記で読んだ話と違い、足は少しもフラつかない。
「アメリカって、どんな国だろう」入港手続が済むと、街を歩きだす。テレビニュースや映画だけで見ていた、五十階近い高層ビルの立ち並ぶサンフランシスコの市街。自分の目と体で初めて知る、少し怖い気もする異国の人々、道路、建物。
街角の店で、ハンバーガーを食べて驚いた。どうしてこんなにデカイんだ。しっかりと両手に持って、口を大きく開けて食べないと、千切りレタスやトマトやピクルスが、ボロボロとヒザにこぼれ落ちる。
次に食料品店に立ち寄れば、広さと天井の高さは学校の体育館ほどもあるし、日本では珍しいマンゴーやパパイヤなどの熱帯フルーツ、あっと驚くヘチマのように巨大なキュウリ、ポパイで有名なホウレン草の缶詰、背の高さまで山盛り積まれたオレンジとグレープフルーツ、種類が多くて買うのに困るほどの牛肉も。
アメリカに着いて最初の感激は、食べ物に関することばかりだ。海の上で二か月も、粗食が続いたせいだろう。
さあ、外国生活のスタートだ。せっかくアメリカに来たからには、広い大地を旅したい。日本の二十五倍もある国土を回って、有名なグランド・キャニオンやナイアガラの滝も見てみたい。でも、そんな余裕は決してない。次の目標、嵐で名高い南米ホーン岬を狙うには、[青海]の補強改造が必要だから、所持金をすぐに使い果たしてしまうだろう。
サンフランシスコに着いて四日後、自動車修理工場を訪ねて整備士の職を探したとき、そこでは断られたけれど、カワサキと呼ばれる日本人の客と知り合った。五十代半ばの彼は神風特攻隊の生き残りで、終戦直後、なぜかアメリカに移住した。現在の職業はガーデナーで、ちょうど人手が欲しいから、ぼくを雇ってくれるという。早速、明日から住み込みで働くことに、話が決まった。
原色の青絵具でパアッと塗ったような、カルフォルニアの素晴らしい快晴空の下、早朝から小型トラックで家を出て、民家や会社の庭に着くと、強力なエンジン送風機を背中にしょって、風の出るパイプを片手で握る。広い庭に散らばる落ち葉やゴミを、吹き飛ばして一か所に集めるのだ。風の反動が強すぎて、小柄なぼくは後ろに転びそうになるけれど、なんて豪快な掃除だろう。慣れないうちは風の狙いが定まらず、ゴミをかえって散らかしたり、隣の家に吹き込んだから、カワサキさんは少し困っていたようだ。
庭の掃除が済むと、次はローンモアを押して芝生を刈る。座席のついた大型芝刈り機に乗って、運動場のような広い庭を一人で刈ったこともある。初めて見る草花、日本では珍しい木々も多かった。雑草だってハイカラで、抜くのが惜しいくらいだ。
「ここカルフォルニア州はゴールデン・ステートと呼ばれる。なぜか分かるかい?」
日焼け顔のカワサキさんが、額の汗をタオルで拭いて質問する。
「昔、金が発見されて人々が殺到した、ゴールドラッシュのせいでしょう?」
「それだけではないんだ。ここは砂漠の州だから、ゴールドというのは砂漠の色でもあるんだよ」
砂漠で草木は満足に育たない。作業を終えるとスプリンクラーのバルブを開けて、庭一面に霧雨状の水をまき散らす。
一日十二時間近い、汗とホコリまみれの労働も、ホーン岬の夢を想えば少しも苦には感じない。仕事を終えて、カワサキ家でシャワーと晩飯を済ませると、与えられた小部屋に遅くまで明かりをつけて、ホーン岬の海図や資料を夢中で調べていた。
やがてサンフランシスコに冬がきて、砂漠の雨季が始まった。雨が降るとガーデナーは休業で、日当の二十ドルは稼げない。ぼくはガレージで芝刈り機やトラックを修理して、どうにか給料をもらっていたけれど、クリスマスが近い日、部屋の荷物をまとめると、世話になったカワサキ家を後にした。
2・不思議な老人
サンフランシスコ湾の奥、三角州地帯のピーツ・ハーバーが、ぼくの新しい住所だった。
桟橋の[青海]で生活しながら、いよいよホーン岬挑戦の準備にとりかかる。太平洋横断に成功したからといって、ホーン岬まで航海できる保証はない。荒れ狂う地上最悪の海を目指すには、周到な用意が必要だ。
大波の衝撃に備えて窓を二重窓にしたり、舵を頑丈に作り直したり、点検整備と補強改造は三十数項目にも達していた。一つの油断が、一つの安易な妥協が、[青海]とぼくを嵐の海に沈めてしまうのだ。
ハーバーで見かける不思議な老人 ―― 高めの身長、がっしりとした骨太の体に鋭い目線。いつもワイシャツを着て、緑のベレー帽を被っている。相手かまわず毒舌を吐き、驚くほど頭のきれる男だ。大型ヨットに一人で暮らし、友人も親戚も見かけない。かつてC.I.A.に勤めていたと、うわさを話す人もいる。
そのジョンと呼ばれる老人が、なぜか[青海]を訪ねてきた。ぼくは改造作業の手を止めると、言われるまま彼の後に従って、桟橋の上を歩きだす。ジョンは急に振り返り、ぼくの耳元でささやいた。
「私のヨットで見たことを、決して他人に言ってはならない。この約束を神に誓うかね」
返事に困っていると、彼は両手の指を組み、神に祈る仕草をしてみせる。人に知られたくないヨットの中に、ぼくをどうして招くのか。
「私の計画に気づいたら、皆はクレージーと言うだろう。しかし、君は自力で太平洋を渡ってきた。その君になら理解してもらえる」
大型ヨットの広い船室には、日本にはない高性能の日本製無線機、最新の電子航海機器も並んでいた。海図テーブルには、なぜか百本近い鉛筆やボールペン。二十五年前から資金を蓄え、出航準備を続けているという。どこに向かい、何をするつもりだろうか。
ホーン岬を目指すぼくのため、彼はさまざまな資料を見せてくれる。棚から出した数十枚もの詳細な地図や海図、どこで入手したのか人工衛星から撮った写真もある。なぜ、そんな資料を持っているのか。地図の隅には、〈Central Intelligence Agency〉という小さな文字。ぼくは一瞬、ドキリとした。
机から鋭く目線を上げて、ジョンはきく。
「君はどうしてホーン岬に行くのだね」
「なぜなのか、ぼくは自分自身でも分からない。ただ、町では得られない大切なことを、海に教えてもらうには……」
すると、あたかも真理を見つけたように、ジョンはつぶやく。
「そうだ、ホーン岬に行く者は、誰も理由を知らないのだ」
彼は二か月以内に港を出て、針路を南に向けるという。北アメリカには二度と帰らない。
「どこかに行き、どこかで死ぬ」
少し寂しそうに、が、きっぱりと言う。いったい何を考えているのだろう。不審というより不気味だった。
「ジョン、あなたはどこへ?」
すると彼は机の紙片を手に取って、素早く二組の数字を書き記す。一つは〈56〉、そしてもう一つをぼくが記憶するひまもなく、丸めてくずカゴに投げ入れた。いったいなぜ?
3・自分を頼ろう
南緯五十六度・西経六十七度、地の果ての南米最南端、太平洋と大西洋の境目に突き出す〈ホーン岬〉。
パナマ運河の開通する二十世紀初頭まで、ホーン岬周辺は二大洋をつなぐ恐るべき難所、身の毛もよだつ船の墓場として、船乗り達に知られていた。想像を絶する嵐で消息を絶った船は数限りない。ホーン岬の名は海の恐怖の象徴として、幾世紀も語り継がれてきたという。
その伝説の岬に達する方法は、大きく分けて二つある。[青海]の補強作業の合間に、ジョンのヨットを何度も訪れて、机に広げた海図を前に論議した。彼の意見はこうだ。
「南米大陸の太平洋側を延々と南下して、最南端のホーン岬を外海から目指すのは、遭難の危険が多すぎる。怒り狂う五十度 (Furious Fifties)と呼ばれる嵐の海で、君の小さなヨットは巨大な崩れ波に呑まれてしまうだろう。しかし、もう一つのルート、チリ多島海を通ってホーン岬に近づけば、大波のかわりにアンデスの雄大な自然と、地球上にまたとない秘境の島々を見る。チリ多島海を通らずに外海を走ってホーン岬に向かうのは、目を閉じて美しい景色を見ないまま、ヒマラヤに登るようなものだ」
南米大陸の南部、チリ・パタゴニアと呼ばれる地方には、島々が千五百キロ以上も続く海がある。だが、その人里離れた秘境には、アンデス山脈から吹き下ろす烈強風、九ノットに達する急潮流、おびただしい暗礁が潜んでいることを、以前に読んだ航海記で知っていた。一人で通過を試みれば、おそらく遭難するだろう。ぼくはテーブルの海図を挟んでジョンに言う。
「いや、大荒れの外海を走れば、巨大波と恐怖の海原を体験できる」
「そんなものはホーン岬を過ぎてから、いくらでも南大西洋で経験する。だいいち、巨大波の崩れる地獄の海を見ることが、何の役にたつのだね」
「人生を考えるため、役だつと思う」
一瞬、ジョンは困惑した表情を見せた。が、やはり首を横に振る。
外海を走ってホーン岬に向かえば、遭難するかどうかは確かに時の運だろう。<怒り狂う五十度>と呼ばれる嵐の海で、転覆してマストを失えば、[青海]は航行不能になる。巨大波に打たれ、厚さ五ミリの船腹が破れれば、間違いなく沈没してしまう。が、チリ多島海を通れば、遭難するかどうかは自分の努力、注意力、座礁を回避する航海技術で決まるのだ。
「外海を走れば運に頼ることに。島々の海を通れば、自分自身に頼ることになる」
ぼくは何度も口の中で繰り返すと、ついに心を決めた。
「よし、自分を頼ろう」と。
アメリカで七か月が過ぎた五月初め、補強改造を終えた[青海]は、赤さび色に塗られたゴールデン・ゲート橋の下を通り、サンフランシスコ湾を後にした。
南米のチリまでは、赤道を越える一万キロ余り、三か月におよぶノンストップ航海。
海とぼくとの、二度目のつきあいが始まった。
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